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INTERVIEW#001::Masaaki OKA 01
インタビュー#001::岡正明 01

インタビューシリーズ
#001 岡正明(デザイナー)
聞き手::日高仁、山代悟

INTERVIEW SERIES
#001 Masaaki OKA (Designer)
Interviewer::Jin Hidaka, Satoru Yamashiro
SORRY, ONLY IN JAPANESE NOW!

■ 岡正明氏 略歴:
1963年 東京都生まれ
1985年 成蹊大学経済学科経営学部卒業、在学中に英国、豪州で美学、社会学、語学などを学ぶ
1992年 Sci-Arc (Southern California Institute of Architecture) 修士課程修了(建築美学修士)、在学中にニール・ディナーリ事務所COR/TEX(ロス・アンジェルス)に勤務
1997年より ソニー株式会社と契約
現在 ソニー株式会社 クリエイティブセンター・プロデューサー、個人でのデザイナー活動も行う


■ 経営から建築へ:

日高:
今日は、立ち上げたばかりのurban dynamics laboratory(以下udl)の記念すべき最初のインタビューです。よろしくお願いします。まず、岡さんのこれまでの活動についてご紹介いただきたいと思います。

岡:
僕は、もともと大学での専攻は経営学、特にミクロな経営学をやっていて、とくに会社とか街というものの経済をやっていました。その頃は街というものを建築家ではない立場で見ていて、単なるランドスケープ(風景)として見えていたんです。建物というものを全然意識してないんですね。そこにどういうロゴがあるか、何とか商店とか、何とか銀行とか、完全にアイコンでしかない。建物がどういう形をしているかとかあんまり興味もないし関係もない。街がどうに成り立っているかも、短い時間で行けるかどうかとか、効率よくシステムができてるとかそういう視点でしか見ていなかったんです。経済的な活動として見ている。

20代の頃は都市というのは、ひとつの生態系のようなものなんだろうと思っていました。僕は、例えば浜野総合研究所の浜野安宏さんのように、街づくりのためのデザインという言葉を使うのですけども、別に形をデザインするわけではなくて、一種の生態系としての街をイメージしていた。ある時、建築家、都市計画家と呼ばれる人たちと一緒に仕事をして、すごく偉そうなことを言ってるなと思ったんです。建築が街を変えるんだとか。

それまで今まで一度もそんな風に思ったことがなかったんです。経済的な観点から街がどう変わっていくか、住み方がどう変わっていくかというようなことを論文に書いたりしましたから。そういったきっかけもあって、次に建築というのをやってみたくなりました。いきなり設計事務所に勤めて、建築ってどういうことなんだろうって、現場で学んだんです。

最初はコルビジュエ、安藤忠雄って誰?という感じでした。建築には「歴史」があるんだと初めて意識し、勉強しなきゃと思いました。そういう意味では、純粋に形が好きとか建物が好きで建築家を目指す人たちとは違って、色気のついた状態で入ってきたので、見方がぜんぜん違うのかもしれない。特に経済とメディアに視線をおいて建築に入ってきた。

■ メディアとしての建築:

岡:
たまたまアメリカで入れてくれる大学(南カルフォルニア建築大学/Sci-Arc)があって、幸いなことに、どっぷり三年間形作りしかやりませんでした。経済とかを全く忘れて、脳天気にずんずん物を作ていました。常に形というものがどういう影響を人の心理に与えるかということに興味があってやっていたのですが、結局三年間やってきて、形をつくること自体にはにあまり意味がない、という結論にたどり着いてしまったのです。

あまり意味がないというのは大げさなんですが、そこに三角があるか丸があるか、四角があるかで何かが変わるかって言うとあんまり代わらない。短い時間では、心理的な変化はあるけど、丸いものが四角に変化するとびっくりすとか、丸だったものがまっすぐになると通りやすくなるとか、美しいかどうかってのはあまり意味がないと思った。そんなこと考えているからか、僕のデザインする建築はほとんど単なるハコなんです。形を一切排除してしまうんです。一回ぐちゃぐちゃなものを作って、そぎ落としていくとハコになる。

僕のSci-Arcでの卒業論文は、建築の可変性と情報の普遍性との比較で、今まさにメディアアートの走りみたいなもといえるかもしれません。論文書く前のエクササイズとして、複雑な形の上にプロジェクターでシンプルな線を引けるようにグラフィックを投影してみたり、逆に平らな壁に大きな通路をプロジェクションしてあたかもそこに通路があるように見せるというなことを、インスタレーション的に学校のなかでやってみたりしていました。

建築に形はあるのだけどもある一定のビジュアルインフォメーションという情報を与えることによって、その形に全く意味をなくすことができるし、視覚的に変化させることができるということです。こうすると建築的行為、情報が普遍性を産んで建築が可変なものになる。物理的にびゅんびゅん動いたりって意味じゃないですよ。そういう風でしたから、建築といっても普通の家を建てるとか全然そういうのにはたどり着けなくてバーチャルな世界に入っていきました。勤めた先がニール・ディナーリという、建物を建てたことがないところでしたから、さらにモノを建てなくなって、どんどん思想の世界に入っちゃったんですよ。(笑)

相変わらず思ってたのは、建築というものは暴力になりかねない、でも考え方を変えれば、普遍性があり、同時に変化を与えるための、メディアになるかもしれないということです。そういったことを考えながらニール・ディナーリと一緒に仕事をし、ギャラリー間で1996年にニール・ディナーリ展「Interrupted Projections」をやりました(関連インタビュー)。これは彼が初めてフルスケールで曲がったサーフェスをもちいて空間を実現したものです。そこでぼくがコラボレーターとしてやったことは、壁に2次元バーコードをプリントして、あるディバイスに持っていくと何かが起こる。そこにあるサーフェスに意味を持たせる、空間に意味を持たせるということ。単なる面があってそこに何かをが貼り付けられ、埋め込まれていることで、隠れている情報が可視化する、というものでした。このプロジェクトは、僕にとってマイルストーンであり、「やったなっ」というところがありました。

その次に翌年ICCで、建築家の入江経一さんとやったのが、カーテンに後ろから赤外線を当てて人の影を撮影して、その影をトリガーにして楽器にたりしました。カーテンをポンとたたくと音が出る。天井のセンサーで頭の黒い色を追いかけ、頭が動くとグラフィックが一緒に動いて行く、単純にそれだけのエンターテインメントみたいものも、電通の人にお願いしてやってもらいました。床や壁を建築的な解釈のしかたじゃなくて、メディアとして解釈してみる。形をつくるということよりは、その形が空間に対してどういう意味を与えるか、それと人間の関係性というのが大事だと思っていました。もともと60年代のチャンスオペレーションだとか、ハプニングみたいなものが大好きで、人間の行動が介在することで完結するということがすごく大事でした。

そんなことをやってみたりしていたんですけが、よくよく考えてみると、僕はテクノロジーのことは本で読んだことしか知らないし、情報ってどうやってコーティングされて、どうやって配信されていくのか全然知らなかった。あるいはそいういったことをビジネスにしている人たちがいるということを全然知らなかった。建築については3年間大学で学んだり、実地に経験してある程度分かったところで、テクノロジーを知らないことには空間とテクノロジーを融合させたメディアデザインができないな、ということでソニーに入社しました。

■ 仮想世界をデザインする:

山代:
ソニーという会社の中では、建築の教育を受けたり実務をやっていたという経歴は比較的珍しいのではないですか?

岡:
デザインやってる人間ではめずらしいですね。数人くらいですかね。

山代:
やはり「建築をやっていた人」という立場でデザインに関わるのですか?

岡:
そうですね。最初に入った部署はいわゆるデザイン部門ではなく、研究所なんです。そこでやってたことっていうのは仮想世界のコミュニティをつくるという研究(PAW)でした。3次元の仮想空間で同時に5千人くらいがチャットをしたりとか、ゲームをしたりとか、アバターを操作することでインタラクションするというような技術があって、そのための空間をデザインしていました。おおもとになったのが漫画のキャラクターでしたので、その漫画にでてくるシーンを単純に3次元化することで街をデザインできました。

でもそれだけでは絶対に面白くないと思ったので、時空をゆがめるという提案をしました。時間の早さをバーチャルな世界での1日が、実社会の1時間、っていう時間スケールに設定し、一週間で四季がめぐり、一ヶ月で一年が経つという変化をもたせました。1時間くらいオンラインで入ってくる人はそこで1日が過ごせしまう。連続して入ってくると四季の変化を体験できる。仮想世界の環境はどんどん早いスピードで変化していく。人間の普段の感覚の時間というのは当然残っているので、そういう風にずれがあるのがおもしろい。

コミュニティーの作り方も、ものすごいはやさ進んでいく。リアルの世界のコミュニティーの作り方のスピードではない訳です。単純に形を作るだけではなく生態系とかいうか、環境をつくるパラメーターのデザインもできる。光の入り方、時間の縮尺のデザイン、例えば食べ物がどういう周期で腐るのかってのをデザインするのが最初の仕事でした。そういったことはとても面白かったのだけど、建築とは直接的な関係はない。空間のあり方とか、距離も仮想空間なんで、すごい長いものを短くしたり、短い距離を長く感じさせたりすることもできる。時間のデザインであるとか、距離のデザインであるとか、ある意味建築とかインスタレーションでやろうとしてできなかった事が本当にできました。

山代:
その仮想世界には、実際ある程度の人数の人々が参加したのですか?

岡:
5万人の登録ユーザーがいて、同時に5,000人アクセスすることが出来る仕様でした。平均して一晩で3-4,000人が来て、そこで知り合って実際に結婚した人も何人かいるみたいです。ペットも飼えるんですよ。自分のアバターだけでなく、犬も飼えるんです。この犬は「人工無能」(人工知能ではなく)と呼んでいたのですが、単純な辞書を持っていて、ユーザーがチャットで発する「こんにちわ」って言う言葉に対して「こんにちわ」って返す。「今日つらかったんだ」っていうと「そうなんだ」って返す。それだけの会話なんですけど、ずーとその人工無能のアバターと話している人もいたりとかしました。

ユーザーがログオフすると、そのアバターは自由にあるプログラム上で動き回るんですね。違う人とインタラクトしてそのデータを残していくとか、手紙のデリバリーをしたりとか。街のアクティビティーをそのアバター=犬を中心にデザインしました。このアバターをプログラムしていくことで、ある程度、人のインタラクションを誘発し、コミュニティを作っていくことができる。ある話題をブームにしてまうとかもできる。

この仮想世界にかなりのめりこんでいく人もいましたが、僕のほうが疲れちゃった。自分が24時間、その環境に対して、創造主というか神になっちゃうですよ。俯瞰して全世界を見渡している。そうするとログがドーッっと流れ込んでくるのですが、ある一定の会話が始まると「Warning」が発せられるようになっている。けんかが起こってる、とかね。そうすると、僕が犬になってその仮想世界に入っていって、「まあまあまあ」とかなだめたりして(笑)。

それはそれなりにおもしろい経験になりました。いろんなインターネットのプロトコルや仮想空間の成り立ちを学ぶことができたりとか。くだらない話かもしれないですが、どういう特許がすでにとられているとかリサーチすることを通して、仮想空間に対して経済界がどういう組み方をしているのかということもかなり勉強ができた。

そんな経験を通して、仮想空間に対して過剰な夢をもつことに批判的になり、リアル社会との接点を持たない仮想空間には意味がないのじゃないかと思うようになりました。ハイブリットであることが重要なのだと思っています。

日高:
その仮想世界のプロジェクトは、何というプロジェクトでしょうか

岡:
パーソナル・エージェント・ワールド=PAWです。もうやってないでしょうね。基本的な技術はVRMLです。コミニティー・プレイスというソニーのオリジナルのブラウザを使っていて、マルチユーザーのサーバーを使って、そういった実験をしていたのは、当時ソニーだけなんです

山代:
それが4、5年前ぐらいの話ですか?

岡:
1998年です。2年ほど続きました。

日高:
僕はPAWについては残念ながらリアルタイムでは全くフォローしていませんでした。

岡:
いや、非常にニッチな話題だったと思いますよ。いろんな人たちが参加していたんですけど、当時それだけパフォーマンスの高いPCを持っている人というと、大体アキバ系の人たちが多くてですねぇ。(笑)PAWの中での会話も、割とアキバ系の会話になっちゃって。(笑)僕は秋葉原に行かずして、アキバのカルチャーも知ることができたわけです。(笑)どういう言語で、どういう会話がされ、どういう価値観を持っているか。それはそれで楽しかったわけですね。


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