« INTERVIEW#001::Masaaki OKA 01 | MAIN | INTERVIEW#001::Masaaki OKA 03 »

INTERVIEW#001::Masaaki OKA 02
インタビュー#001::岡正明 02

インタビューシリーズ
#001 岡正明(デザイナー)
聞き手::日高仁、山代悟


INTERVIEW SERIES
#001 Masaaki OKA (Designer)
Interviewer::Jin Hidaka, Satoru Yamashiro
SORRY, ONLY IN JAPANESE NOW!

インタビュー第2回
最初からお読みになる方はここをクリックください。


■リアルな世界とバーチャルな世界のインターフェイス:

山代:
先日、森川嘉一郎さんのレクチャーを聞く機会がありました。ベルリンから来てる建築学生に、延々とオタクの歴史や文化を説明をするっていうもので。英語で。(笑)

岡:
僕たちのラボでも一度レクチャーしてもらったことありますよ。

山代:
韓国のほうのオタクもすごいらしいですね。布団の横にパソコンのモニターを横倒しにして置いてある。自分は布団の上に横になって、寝ながら、こう、操作している写真を見せてもらいました。(笑)

岡:
横にして!いや、実は僕も開発しようと思ったんですよね。軍隊とかでよく使われているようなヘッドマウントディスプレイにパソコンの画面を出して、キーボードは太もものあたりにやって、マウスの動きを、こう、指ですごい短いストロークでコントロールして。横になっても、風呂ででもパソコンできるようにしようと。でもこれは倫理上ありえるのか、ということと、ソニーという会社が売るものじゃなさそうだなっていうことでボツになりました。(笑)秋葉原で誰か違う名前でやっていたら売れたかもしれません。

日高:
中国で一時期そういうのが盛り上がっていた時期が確かにありましたね。ウルティマの時にちょうど上海にいたのですが、ネットカフェがすごい人ごみでした。

山代:
ネットのコミュニティでの出来事がきっかけの殺人事件とかも起きていますね。

岡:
そういったことは、僕がPAWをやっていたときにとても危険だと感じていたことです。オンラインでの世界と自分の世界が完全に分かれているうちはいいのですが、それがちょっとでも融合し始めるとおかしなことがおき始めるんです。リアルな世界の自分の感情がオンラインになると、オンライン上でのけんかになったり、あるいは誹謗中傷になったりする。逆に、オンライン上で人を簡単に撃ってしまえばポイントになるということが、リアルな世界に出てくると、おかしな話になる。

ある意味でいえば、精神異常者に近いような無意識の殺人っていうのものが社会に埋め込まれてしまう。だから僕は最初から二つの世界に関係性を持たせて、両方が全く別々の世界でなく、ある一定の関係のあるレイヤーで存在しているということをPAWの住人には分かってもらいたいと思っていました。

日高:
そういったリアルな世界とバーチャルな世界との関係性は、例えばPAWのインターフェイスのデザインなどによって実際に変わってくるものなんですか?

岡:
インターフェイスのデザインというよりは、けんかを始めるといろんな問題が発生していくというようなこともきちんとバーチャルな世界でも起こしていくということです。問題が起きると周囲の人が迷惑するんですよ、ということをすごくプリミティブな状態でプログラムしていく。犬が大騒ぎして、逃げていっちゃうとか、けんかをし始めると、声を大きくしてあるので周りの人が集まってきて「やめろ!!!!」て仲裁する。

なるべくリアルな社会の人間関係で起こるだろうなっていうこともバーチャルな世界で起こしていくんです。そうするとバーチャルな世界だから、という特別なことはなくて(空を飛べるとかはあるんですが)犬をたたくと犬がいなくなるとか、犬がいないとできないことがたくさんあるので、すごく寂しい思いするということになったりする。

これを学校の授業で使いたいので開発を一緒にしたい、という話もありました。リアルな世界で、リアルなことを教えにくくなってきている。だから、バーチャルな世界でリアルをシュミレーションして、ある程度リアリティを高めたところで、リアルな世界できちっと教えるという、、、。

山代:
なんだか怖い感じがしますね(笑)

岡:
うん、僕も怖いと思ってやめました。

山代:
人をぶったらどうなるかってことを一度パソコンで練習してみる。

岡:
ちょっと難しいんですよ。僕らが仕組んだその倫理観ってのは、ある程度の年齢にならないと理解できない。ぶったところで自分の手は痛くないし、相手もそのうち返ってくるわけですから。小学生くらいだと、ぶったら犬がいなくなっちゃった、でも待ってれば帰ってくる、という理解のされ方をしてしまう。それがリアルの世界にいっちゃって、犬をバーンってぶって犬が死んじゃったりしても、きっとそのうち帰ってくるに違いないと思われても困るんです。

その後も発展させようと思えばいろいろ発展できたと思うのですが、事業的にペイするようなものではないので、やめることになりました。

山代:
PAWが終わる時、ユーザーの人々はどういう反応をしめすんですか?

岡:
終わるときは大変でしたねぇ。3ヶ月ぐらい前からストーリーを作り上げてですねー、世界の終わりを演出しなきゃいけないわけなんですよ、神としては。ある日、犬が全部いなくなるんですね。何かの兆候だということで、みんな慌て始める。そのうち犬は帰ってくるんですが、プログラムが少し変えられていて、今までのかわいい犬じゃない。春になってたのに雪が降り始めたりして、「天変地異だっ!この世界は終わってしまうかもしれない。みんなで移住しよう!」と言い出す人が出てくる。そうするとぼくは「ラッキー」って思うわけです。メジャーなユーザーたちが他の仮想世界に移住していき、閑散とした世界になったところで、ポッ、て終わらせちゃう。

山代:
実際に仮想世界の創造主として振る舞われた経験をとおして、バーチャルなコミュニティとリアルなコミュニティを重ねあわせていくことで生まれる可能性についてどう思われますか?

岡:
ひとつ学んだのは、抽象的かもしれないですけども、カチッとものを作り上げると人は動かなくなる、ということでしょうか。発想が止まるんですね。逆に、ルーズなフレームワークだけ用意すると、アクティビティってすごく活性化される。完成するとアクティビティが落ちる。これって何か示唆しているのかなって思って、その後何度かプロジェクトを受けるたびに、カチッとしたシナリオワークをするのではなくて、かなりルーズなフレームワークだけを作って、そこに参加する人たちで作り上げて行くように考えています。

シチュアシオニストみたいなアーティストたちってのは、誰かがそこに関与することで自分のアートが完結する。まぁそれに近いのかなってことは再認識しました。混沌によって人が困り果てて、何かを自分で自発的に作り始めようと思ったときに、ようやく僕が作ったフレームワークが意味を持ち始める。僕のプロジェクトは、いつもそうなんですけど。

仮想世界の仕事のときもわりとそういうのを意識していました。完結したシナリオを与えるのではないし、犬も、最初エンジニアはペットエージェントって言われている人工知能搭載しようとしていたのですが、人工無能にしたんですよ。キチッと会話が成立するとかえって会話は長続きしないんですよ、面白いことに。相手が少し馬鹿だと、返事が突拍子もないことになって、そーじゃなくてっていうことからどんどん会話がふくらんでいくんです。

何かをデザインするときに、最適化ってのは結構早くできると僕は想像しています。都市計画とか街づくりでも同じではないでしょうか。70年代の都市計画はすべてを最適化によって決めちゃっています。作りすぎちゃっている。

■リアルな世界を変化させるバーチャルな世界:

日高:
実際に岡さんがPAWをつくって体験されたヴァーチァルな世界というのは、僕たちが想像のつかないような膨大な体験だったのだろうと思います。

岡:
webのサイトとかの中にも、別にアバターがいたりとか3Dじゃないけれども、近いようなことが起きているものもありますね。例えば“ご近所サーチ”というようなものです。例えば「野球好きなんです」ってメッセージをあげて、自分の住所を入れると、野球好きの人が集まってくる。全然見知らぬ人たち同士なんだけど、「じゃ、来週試合しましょう」ということになったりするんです。それってリアルな世界ではありえなかったことを、ヴァーチャルリアリティーっていっていいのかわからないけど、ネットワークの上でならありえるんです。ひとつのフレームを与えることで一気にコミュニティーが出来上がることもある。

日高:
そのサイトでは、地理情報って自動で入ってくるんですか?

岡:
地理情報は確か自分で入れるのかな? 「多摩川縁に住んでる何とかです。来週試合しませんか?」と言うと、話がどんどん進んでいく。野球の試合をするって大変ですよね、9対9だから、18人の人を一気に集めなきゃならない。「先週引っ越してきたんですけど」とか言う人もいるけれども、あっという間にメンバーが集まってきて、1週間後にはちゃんと試合をしている。そして試合の報告が翌週には出ているんです。「あ、こんなにスピードを上げることができるコミュニティーの作り方もあるんだな」って強烈に思いましたね。

同じ様なものが沢山あるんですよ、ケーキ好きの主婦の集まりとか。多分今までは転勤族の人達にかかっていた精神的ストレスというものが、かなり軽減されるんなじゃないかな。自分が情報を発信してしまえばそのコミュニティーに入っていける。あるいは逆に自分がそこに入ったことでコミュニティーが出来上がるというケースがある。自分が別にその土地を知らなくても、その人たちを知らなくても、リアルな世界を作るためにヴァーチャルな道具を使ってコミュニティを作り上げることができるんです。

日高:
ヴァーチャルな活動とリアルな活動の強いリンクによって新しいものをつくれないだろうかと考えています。

例えば、「島プロジェクト」という活動をやっている人たちがいます。高橋歩さんという方が、中心になって進めている活動で、沖縄にアイランド・ヴィレッジを作ろうとしています。高橋さんに一度インタビューをしたことがあるのですが、彼のプロジェクトの担い手は、主にネットを媒介した呼びかけに応えて集まってくるボランティアの人々です。彼らは、交通費も自分で出して沖縄に集まってきて、プロジェクトに参加します。高橋さんの側で用意するのは、彼らの寝る場所(テント)と食事、泡盛、という現地生活に最低限必要なものだけです。非常に局所的ではありますが、彼を中心にしてそういう仕組みが出来上がりつつある。

彼と話をしていると、僕たち建築家の考える一般的なコストの概念とは全く違ったところで実際にプロジェクトが進行しているのがわかります。こうした状況を考えると、その要因としては、高橋さんの著作物などを中心として発せられる求心力、沖縄という場所の魅力、個人ベースできちんと機能するネットワークの仕組みが挙げられると思います。こうした状況は、これまでの日本じゃ絶対ありえなかったことだと思います。成熟した社会というか、今の日本だからありえることのような気もしますし、後進国で日常の生活が苦しくて例えば5人兄弟のうちの1人しか学校にいけないような社会では、難しいのではないかという気もしています。

岡:
それは日本だけじゃなくて社会的な動きだと思うんですけど、最近経済学でトレンドになっいる絶対的価値に対して相対的価値という考え方があります。ハピネスロジック、幸せのロジックっていう経済論理を、きちっと学問として興そうとしている人たちがいるんです。主にアメリカ、ヨーロッパですが。今お話になったのはまさにそれで、今まであった絶対的な貨幣価値での価値観ではないんですね。自分が幸せと感じるか感じないかというところで価値が相対的に決まってくる。こういうものがあるということに対して自分がどう考えるかというところで価値の基準が決まってくる。

メーカー企業だと、クリスマスのときに売れるか売れないか、という勝負をかけるんです。でも、今までだと「これくらいの価格で出せば、これだけ売れる」っていうロジックでやってたんだけど、最近は全然通用しないんです。消費者が賢くなって、自分で情報を手に入れるので、どれくらいの機能に対してどれくらいの値段がつけられてるというのを知っているのです。値段や見栄えで判断するのではなく、これを自分が持ち帰ったときにどれだけ幸せになるか、これが欲しいか欲しくないかっていうことが大事になってきている。高いものでも売れるものはうれるし、安くても売れないものは売れないっていう、状況ができている。

同じように、コミュニティのあり方っていうのも、ここで自分がどういう価値観を感じるのかってことが判断基準になってくるので、どういった利益を得ることができるかっていうのではなくなってきてるんですね。

山代:
島プロジェクトに現れているような、一種新しい価値観が生まれ始めている一方で、これまでしばらく続いてた貨幣を中心とした価値観もしっかり残っている訳です。おいしい泡盛が飲めることが唯一の報酬であっても島に駆けつけるような人が、普段はいわゆる企業に勤めていることもある。いろんな価値観があって、同時にいろんな価値観で世界を生きられる。

先ほどの話で言うと、ヴァーチャルで非常に早いスピードで出来上がったり、崩壊したりするコミュニティにも参加できる。変な言い方かもしれませんが、イロイロ並行して試せるんですよね。いきなりヒッピーになって、全部捨てていくのはなかなか難しい。いきなり貨幣の世界から全くは逃れることはできないんだけど、同時に全くずれた価値観の生活を体験することもできる。しばらく試してみていく中で、こっちにいっても大丈夫だね、じゃあそうしよう、というようなことができる。

そういったたくさんのコミュニティを同時に生きられるということが、人々を移動可能にしているのかなという気がしています。

岡:
正しい言葉かわからないんですが、シュミレーションができることで、生き方の選択肢が増えてきた。実際にやらなくてもやってみたように思えるとか、やった人の追体験を自分がすることで、自分に合ってる合ってないの価値観に対する判断ができるということはあるのではないでしょうか。

(つづく)