« INTERVIEW#001::Masaaki OKA 02 | MAIN | DISCUSSION#001:: Designing architecture, the city , media art and the next beyond the border 01 »

INTERVIEW#001::Masaaki OKA 03
インタビュー#001::岡正明 03

インタビューシリーズ
#001 岡正明(デザイナー)
聞き手::日高仁、山代悟

INTERVIEW SERIES
#001 Masaaki OKA (Designer)
Interviewer::Jin Hidaka, Satoru Yamashiro
SORRY, ONLY IN JAPANESE NOW!

インタビュー第3回(最終回)
最初からお読みになる方はここをクリックください。


■メディアテクノロジーと建築・都市空間:

山代:
先ほど非常にバーチャルな世界のお話と、具体的な建物のお話とをお聞きしたのですが、インテリア空間にメディアの技術を組み合わせるってことをやられてるのではないでしょうか?

岡:
ここでの仕事はそれに相当するんですけど、あんまり具体的にはお話できないんです。たとえばたくさんセンサーがあってモニターがたくさんあって、テクノロジーがフル装備されたって言う部屋がうれしいかどうかっていったら、うれしくないと思うんです。じゃあ何もないって言うとそれもつまらない。それの中間あたりだと思うんですよね。頃合いって言うのがどの辺にあるのか僕にはちょっとわからないですけど。

目指しているところとしてはなにか触発されるきっかけが何らかのテクノロジーで存在する。それが光なのか音なのか映像なのか、まだこれからやろうとしている課題なんですが。体というよりは脳がアクティベイトされる。頭の中の脳の活動の中のどっかをアクティベイトさせるためのきっかけのようなものです。

メディアアートはすごく人間を触発するんだと思うんです。五感を全面的にいろいろ刺激することで、気持ちよかったりとかきれいだと思ったりとか、これって何だろうって思ったりとか。でも、いかんせんアートという閉じた世界のものなので問題提起でしかない場合も多ですよね。持続的でない。日常的でない。それがもっと日常的であって、継続性のあるデザインの中にどうやってそういうものを埋め込めるんだろうかというような問題意識があります。

日高:
メディア・アートの傾向として実際の街のなかで作品をつくるアーティストが増えています。とても面白いことだと思いますし、僕たちもそういう方向に興味があります。ギャラリーではアートとして単に問題定義するだけだったものが、街にでていくとそうでは済まされない。日常とまではいかなくてもある規模の社会に参加する可能性がある。

岡:
日本・アジアってたぶんすごくユニークというか、アートというものを非日常的なものとして捕らえる傾向がある。メディアアートの展覧会も日本だと完全にショー・エンターテイメント的な扱いですね。もしかするとメディアアートも日本で紹介するならば、アートという形をとらないで、街の中の日常的なファンクションとして展開していくことのほうが日本にいる人にとっては意味のあることなんじゃないかなと思うんです。

例えば、ネオンサインってすごいメディアアートだと思うんですよ。日本人はネオンサインのことをメディアアートだと思ってないんですね。海外のメディアが秋葉原を紹介するときにはものすごいアートのような扱いをするんです。彼らの目にはメディアアートとして映ってるんですよね。ちょっと考えてみるとそういう見方もできるんです。

メディアアートに感じるのは非日常的なことが強すぎる場合が多くて、もっと日常的なものになってくるとアートとしての役割を果たしていくのではないかなと思います。問題定義であったり考え方を変えるためのきっかけであったり、意識のおかれかただったり。あれを体験したために自分の人生が変わってしまった、ということがあると思うんです。

日高:
僕自身、自分で作品をつくっているとき、例えばビデオプロジェクターを使うときなど、窓を塞がなければならないのがとても嫌なんです。外の天気が良かったりすると、余計に。むしろ、沖縄の海辺などでも、環境に対応できるような作品ができないかなといつも考えています。技術的な問題は沢山あるのですが。

メディアアートが、毎日目にしたり、触れるような存在になってくると、いわいる美術館に展示する作品に求められる性格とは違ってきますよね。美術館にあるメディアアートの多くは、毎日普通に見るには辛いというものが多い。それはそれらの作品の強度が美術館という非日常の体験にフォーカスを合わせてつくられていることに原因があると思います。

アーティスト側としては、日常のシーンをターゲットにする場合、全然違った感覚で作らなくてはならないと思います。そのあたりの具体的なイメージみたいなものをお持ちでしたら、お聞きしたいと思います。

岡:
僕自身の表現は違った形だけど、お二人と考え方はすごく似てると思うんです。お考えのように、街の中、日常に作り出していかないとあまり続かないというか、毎回毎回切れたもののなって終わっていく。ICCでは赤外線を使ったので、その空間は明るければ明るい程よかった。暗いといかにもな空間になるのですが、そこでもう、ここで起こっていることは、ここだけの非日常的なものだとマインドセットされてしまう。それが、すごく明るい日常の中で、何かを持ってくるとその日常の中に非日常が入ってくるというギャップが感じられる、そういうものを考えてみたい。明るいところ、日常の中にあるということはすごい重要なんですよね。

山代:
自分自身はいわゆるアートピースって言うのを所有したことがありません。ですからいわゆる美術作品というものには美術館とかギャラリーでしか対面しない訳です。直島に行ったときに体験しとことなんですが、朝、目が覚めて、寝起きに草間弥生の作品を見たときに、非常にその作品をいいなと思えたんです。身構えている状態じゃなく、覚醒しかけているときに初めてすーっと入ってくるものってあると思うんですよね。

街中にメディアアートが入ってきたときに、役に立つからというだけではなくて、歩きながら携帯でメールを打っていて、ふと見上げたときに入ってくるものの様に、覚醒しているような、していないような時に入ってくるものを作れたらいいなと思います。

岡:
語るならいくらでも語れるし、もう語りつくしちゃったこともありますが。やることに意義があるんですよね。なんと言われてようと作っちゃうことに意義があるんです。ギャラ間でもものすごい力かけてたし、お金もかかりましたが、それをやったことで自分の意識も大分変わったし、世の中も反応したし。二―ル・ディナーレも、それがきっかけで実施設計をやることになったし。

何かやりましょう。すごい簡単にできることなんですよね。大々的じゃなくてもいいんですよ。ホットスポットを使った何かとか。すごく日常的なことでいいんですよ。

■移動を前提としたアーバンデザイン:

日高:
udlでは、メディアアートのインスタレーションのような一般的には小さな規模のものと、アーバンデザインのような大きな規模のものを同時にカヴァーすることができるような手法を見つけていきたいと考えています。ひとつのキーワードとして、「場所から自由になる」ということを最近考えるようになりました。

僕が東大で助手をしていて担当したデザイン課題が、ちょうど建築、都市工学、社会基盤(土木)、新領域という4つの学科の合同課題として行われたものだったのですが、これらの学科で共通のテーマとしているのが、「都市の持続的再生」について提案するというものでした。

この課題を終えた後、建築家の内藤廣さんにお話をお聞きする機会をいただくことができ、面白い言葉を投げかけられました。どういう言葉かというと、4つの学科がうまく力を合わせて成果を出すためには重要なポイントを見つける必要があるけれども、それはなかなか難しいことだと。自分は、時間価値をつくっていくというがことが重要だと考えていると。これまでの都市計画は、空間を分割して分配するための計画だったが、本当に重要なのは、どういう空間を占有するかではなく、都市でどういう時間を過ごせるのかということではないかと。共通テーマとなっている「持続」も「再生」も時間の感覚を含んだ言葉なのだから、時間価値をキーワードにして都市を見直すことが必要なのではないかというのが内藤さんのお話でした。

僕はそのお話を聞いて以来、その言葉の意味をずっと考えていたのですが、そうするうちに、以前から考えていた、「場所から自由になる」というイメージが再浮上してきました。非常に曖昧な、広い解釈ができるような言葉ですが、例えば、一つの展開として「移動を前提としたアーバン・デザイン」のようなものを考えることができます。

内藤さんのお話にもある、空間の分割ということですが、実際の都市計画はまず計画対象となる地域の境界線が設定された中で執り行われます。しかし、僕たちはますます移動しながら生きるようになっています。あるいは、物理的に移動するだけではなく、ネットを媒介した遠隔地のコミュニケーションも。

移動を前提としたアーバン・デザインを具体的に考えていくとなかなか面白くて、例えば、東京と地方都市を頻繁に往復する生活は実際に可能になってきていますが、こういう生活を前提とするならば東京に求めたくなるデザインは、東京でずっと留まっていることを前提とした場合とは全く違ったものになります。場所を使い分けるようなイメージですが、それぞれの都市の持ち味を生かして強化していくようなことの必要性を感じるようになります。

現在の地方都市の面白くない点としては、東京などの大都市を模倣しようとしていて、中途半端に開発を進めている点がある。これは、移動を前提として考えるならばまったくナンセンスで、逆にそこにしかない魅力、不便でもいいかもしれないし、価値観がまったく違っていても面白いかもしれない。何かこういう割り切りみたいなものが、もうすこし現在の地方都市の沈滞ムードを活性化できないかと思っています。

ついでに言うと、僕は、最近よく言われるようになった持続可能性、サスティナブルという言葉にどうも馴染めない気がしていて、自分なりのイメージを作ろうと思って考えたのですが、前提とするべきイメージは、わかりやすく言えば、建築や都市の魅力っていうのは、われわれ自身の寿命を超えた長いものだということ、われわれはその活動に一部参画できるに過ぎないっていう当たり前のことなんだと思いました。

自分が受け取ったこの環境になんらか参画して多少変更し、自分が死んでも次の誰かに渡せるということ。自分が受け取ったものを次の誰かに託すという意味のある行為としてデザインを考えるという当たり前のマナーのようなものではないかと考えています。

岡:
主観主義ではないんですけども、タイムシェアリングもあるだろうし、スペースシェアリングもあるだろうし、以前ちょっとやっていたリサーチ・プロジェクトで、にんべんに主の「住む」じゃなくて、棲みつくの「棲む」ということをテーマにしたものがありました。都会だからこそできる「棲む」って感覚があるんですよね。たとえば、寝るとこと食べるとこと遊ぶとこと話すとことていうのが1個の家に存在しなくて、町の中に散在していて、ホテルのロビーとクロークがあって、寝るとこはたまたま自分のうちで、あるいはカプセルホテルで、っていう生活が存在できるんですよね。

日高:
かなりリアルですね。

岡:
そのプロジェクトは、世界中でアパートをシェアしよう、住む場所をシェアしようというものです。全世界をネットワークしたスケジューリングだとかシェアリングのプログラムを作って、たとえばニューヨークに行ったときに、ホテルに泊まるんじゃなくて、誰かが使っていた部屋を空いてたら使うとか、そのときにどういうファシリテーションというか自分の生活をどれだけ持っていって、そこでの生活と融合させるかということをデザインをしている。

例えば本棚があるんだけど、自分の本は3冊くらいで、後40冊くらいは誰か違う人のの本。だけどそれってもし図書館と同じ感覚と理解できればいいじゃないか、ということでそれもシェアしてしまう。2、3軒をグルグルまわることは簡単にできるんですけど、僕らが考えたのは1万とか10万とかそういうスケールでシェアリングはじめたらとおもってました。

こういったことが、観光みたいな非日常じゃなくて日常で起こせるんじゃないか。昨日までは三田から通ってたんだけど、明日から目白から通いたいなと思ったときに、目白で空いてる部屋ないかな、あーあったあったってシェアできる。

日高:
僕は自分が都市間を移動するときに、やはり一番大きなモティベーションになるのは環境自体の魅力だと感じています。こうした場所の魅力と、技術的な可能性を組み合わせることで、まったく違った生活が可能になるということが、僕たちの世代に実現できるのではないかと思っています。

岡:
動物が常にそうであると思うんですけど、年齢とともに住む場所とか、ターゲットとなる獲物をどんどん変えていくことで、自分っていうものを保っていく、ということもあるのではないでしょうか。

(2005年4月30日 東京、原宿 SETにて収録)